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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)3329号 判決

原告

大原隆

右訴訟代理人

大澤龍司

外六名

被告

日本国有鉄道

右代表者総裁

高木文雄

右訴訟代理人

高野裕士

外七名

主文

被告は、原告に対し、金二〇五六万二〇〇〇円及びうち金一九〇六万二〇〇〇円に対する昭和五一年八月三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを五分し、その二を被告の負担としその余を原告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告が、昭和四八年八月一七日午後六時四五分頃、福島駅の一番線ホームから線路上に転落し、折から進入してきた電車に両脚を轢断されたこと、及び、原告が視力障害者であつたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、原告(昭和四年一月一五日生れ)は、小学生の頃から視力が衰えはじめ、その後、家業の鉄工所を手伝うようになつてからは、電気溶接の火花による悪影響やグラインダー使用時に飛び散る金属粉が眼に入つたことなどによつて視力は益々衰え、昭和三六年七月三一日両眼角膜白斑の障害で身体障害者福祉法別表一の1に該当する一級の認定を受け、更に昭和四五年頃ダンプカーに衝突されて頭部に受傷した後は、左眼の視力零(身体障害者手帳上の病名は眼球癆)、右眼のそれは眼前での手動を判別しうるに過ぎない状況(病名、角膜白斑、白内障、虹彩後癒着)にあることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

二被告が日本国有鉄道法に基づき鉄道による旅客運送を業として行なう目的をもつて設立された公共企業体であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、原告は、国鉄天王寺駅で乗車券を購入し、大阪環状線電車で同駅から福島駅に赴き、同駅ホームで本件事故に遭遇したものであることが認められる(右認定を覆えすに足りる証拠はない。)から、被告には、商法上の旅客運送人として、旅客である原告を安全にその目的地に運送すべき契約上の義務があるものというべく、本件事故で受傷した原告は、被告の運送により損害を被つたものというべきところ、被告は、本件事故につき、被告及びその職員が運送に関し注意を怠らなかつたから、被告には損害賠償の責任はない旨主張するので、以下、この点について検討する。

1  〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  福島駅のホームは、北東、国鉄大阪駅方面(以下、東側ともいう。)から、南西、同野田駅方面(以下、西側ともいう。)に延びる、全長が180.51メートル、幅員が、最も広いホーム中央西側部分(後記西階段の昇降口から約五メートル西寄りの部分)で10.05メートル、最も狭い西側先端部分で5.91メートル(東側先端部分は7.79メートル)、その他の部分はほぼ九メートル前後の、高架の、いわゆる島式ホームで、大阪駅方面に向う大阪環状線外回り電車の発着する二番線ホームはほぼ直線であるが、野田駅方面に向う内回り電車の発着する一番線ホームは、進行方向に向つて右側にゆるやかに湾曲している。

ホーム上には、そのほぼ中央に東西長5.01メートル、南北幅3.04メートルの運転係室が、これを挾んで、その東側に3.03メートルの間隔をおいて大阪駅方面から階下の改札口に通じる階段(東西長ほぼ6.5メートル、南北幅約4.5メートル。以下、東階段という。)、その西側に7.1メートルの間隔をおいて野田駅方面から階下の改札口に通じる階段(東西長、南北幅とも東階段とほぼ同じ。以下、西階段という。)が、更に、東階段の東側及び西階段の西側には、両端に向つて、それぞれ、順次、水飲み台、二つのベンチ、水銀灯が設置されている。一、二番線とも、ホームの縁端に沿つて幅0.45ないし0.58メートルのクリーンタイルが、その約0.5メートル内側に一定間隔をおいて白いタイルを埋めた白線が更にその内側約0.8メートルには、ホームの両端各約三〇メートルを除いた部分を覆つている屋根を支えるH型鋼の柱が約一〇メートルの等間隔をおいて、それぞれ設置されている。

そして、ホーム縁端部は、その土台部分から1.74メートル程庇のように線路敷上に突出しており、ホーム下の線路内側には高さ約1.1メートル、幅約2.7メートルの空間部分があり、また、線路外側には幅約2.2メートルの空地が残されている。

なお、六両編成の電車(一両の長さは約二〇メートルである。)の一番線側における所定停車位置は、電車の最前部がホーム西端から約三〇メートル東側寄りの地点にくる位置である。

(二)  原告は、職を求めて本件事故前日の昭和四八年八月一六日の午後一〇時頃博多駅発の夜行列車で単身来阪したものであるが、事故当日の午前一〇時頃大阪駅に到着し、大阪環状線天王寺駅に荷物を預け、以前大阪で働いていた頃の知人らと連絡をとるため、その周辺及び京橋駅で時間を費したが、らちがあかず、最後に、福島駅に行けばその頃の知人に会えるかも知れないと考えて、外回り電車に乗り、本件事故発生時刻の直前に福島駅で下車した。

原告は、下車位置から十二、三歩歩いて、一たんは西階段を二、三段降りたものの、もう遅いから明日にしようと思い直して、再度外回り電車に乗る心算で下車した位置に戻ろうとしたが、方向を誤つて内回り電車の発着する一番線側に進み、西階段昇降口から約八メートル野田駅方面寄りのホーム縁端部(当裁判所の検証の際に、被告が原告の転落場所として指示した地点。検証調書添付見取図のロ点で、ホーム東端からの距離は約一一四メートル、ホーム西端からの距離は約六六メートルである。)で右足を踏みはずして、そのまま線路上に転落した。原告は、転落したとき足首を線路で打ち、その痛みで立ち上ることができず、うしろに回した手に触れたものの感覚で線路の間に居ることがわかつたので、同所から二、三回、大声で助けを求めるとともに、何とか這つて退こうとしたが、自力で線路脇に退避することができないままに、進入してきた内回り第一七二三電車にその両下脚下腿部を轢過された。

本件事故当時、原告には同伴者はなく、原告は、その程度は明らかではないが、酒気を帯びていた。なお原告は、それまで白杖を使用したことはなく、もとより、本件事故の際も、これを所持していなかつた。

(三)  福島駅では、ラッシュアワーにあたる午前七時三〇分から同九時まで及び午後五時から同六時三〇分までの間は、原則として助役一名、旅客係一名の計二名がホーム上で電車監視及び客扱いの職務にあたるが、右以外の時間帯においては、旅客係一名を右職務にあてている。なお、ラッシュアワーがずれ込んだ場合にはその間助役がそのままホーム上で職務を続ける。

本件事故当時は、ラッシュアワーをやや過ぎて、ホーム上の旅客数も通常程度(数十人程度)に戻つていたので、当日の担当助役安代末治は既に右職務を離れ旅客係の仲矢敬治一名がこれに従事していた。

仲矢は、運転係室で作業中、二番線に外回り第一七一八電車(午後六時四四分二〇秒着、同四〇秒発)の接近を知らせるブザーが鳴つたのでこれを止め、続いてその接近を案内する自動列車接近放送がはじまるのと同時にホームに出て、電車監視場所として指示されている東階段の昇降口から数メートル大阪駅方面寄りの地点(その付近からは、ホーム全体が比較的よく見渡せ、また、危険な駆込み乗車をする乗客が多い。)で、右電車の監視及び客扱いにあたつた。ほぼ定刻に発車した右電車の後部がホームから離れるのを確認し終つた頃、一番線に入る六両編成内回り第一七二三電車(午後六時四五分二〇秒着、同四〇秒発予定、運転士天野勉。)が大阪駅方面から接近してくるのが見え、同時に自動列車接近放送がその接近を告げはじめたので、その監視及び客扱いをなすべく、直ちに二番線側から一番線側にホーム上を移動したが、同側側端付近に達した頃、ホーム上の乗客の「わあー」というような喚声を聞いたので、直ちにその方向を注視して野田駅方面の線路上及びホーム上を確認すると同時に、その監視位置から約四〇メートル野田駅方面寄りの線路上に、足をホーム側に向けて線路の間に人が倒れているのを発見した(前記原告の転落に至るまでのホーム上での行動経過及び右発見に至る経緯に照らせば、仲矢は、原告の転落を、その直後に確認したものと認められる。)。振り向いて大阪駅方面を見ると、第一七二三電車は既にその最前部がホーム東端付近にまできていたので、仲矢は、咄嗟に、電車の速度や距離関係等からみて転落者の救出に向つてもそれは不可能である、むしろ右電車を非常停車させる方がよい、と判断し、すぐさま所携の赤旗を振りながらホーム上を電車に向つて走つた。十数メートル走つたあたりで、電車は目前を通過して行つた。

(四)  運転士天野勉は、第七一二三電車(その運転席は、進行方向に向つて左側にある。)を運転して、ほぼ定刻に到着すべく、惰力により時速四〇ないし五〇キロメートルの速度で福島駅に進入してきたが、その際、ホーム上に赤旗を振りながら電車に向つて走つてくる駅員(仲矢)の姿を認め、時間的な前後関係は定かではないが、ほぼそれと同時に、前方線路上に白い人らしいもの(原告)が横たわつているのを発見して(天野は、原告が線路上に転落するところは見ていない。)、直ちに非常制動の措置をとるとともに、非常汽笛を吹鳴したが、及ばず、そのまま原告の両脚を轢過した。なおその最前部が轢過地点から八メートルばかり前進した地点で、加害電車は停止した。

(五)  加害電車の制動装置は、空気の圧力を利用したもので、常用制動も非常制動も一個の把手で手動操作される。天野運転士は、内回り電車を運転して福島駅に進入停車するときは、通常、大阪駅との中間あたりで力行を止め、以後は惰力により、時速四〇ないし五〇キロメートルで進行し、ホーム東端から約三〇メートル西寄りの地点まで最前部が進入したとき、圧力三キログラム前後の常用制動をかけ、所定の位置に停車している。制動から停車まで、約一二〇メートル進行することになる。なお、非常制動は、圧力4.5キログラムで、時速五〇キロメートルで進行している場合には、非常制動をかけてから約一〇〇メートル進行して停車する。時速四〇キロメートルであれば、非常制動による制動距離は六四メートル程度となる。

(六)  なお、証人天野勉は、ホーム東端付近からであれば、加害電車の運転席からホーム上及び一番線線路上の見通しは良い。一番線側の線路とホームは多少曲つているけれども、それはこの事件には関係はないと思う、一番線線路上の原告が転落していた地点は、少なくとも物理的には、もつと手前からでも見通すことができる旨証言しているところ、前記認定のホームの幅員(一部を除き九メートル前後、東端は7.79メートル)、形状(一番線側は直線)に、電車の幅員をあわせて、前記(四)記載の位置にある運転席上の運転士の眼の位置を考えれば、右証言は十分首肯しうるものであり、他の証拠上も右証言の合理性を疑わせるような事情はうかがわれないから、加害電車運転席からの見通しは、右証言にあらわれたとおりであると認める。なお、同証人の証言によれば、本件事故発生の際、天野運転士は別に線路上が暗いとは感じていなかつたことが明らかである。

ところで、証人天野勉は、(1)福島駅に進入する際、異常(ホーム上で赤旗を振つて走る仲矢、線路上に横たわつている原告)に気付いたのは、加害電車の最前部がホーム東端にさしかかつた頃と思う、(2)事件事故発生後、所定停車位置の約五〇メートル手前、すなわち、ホームの西端から約八〇メートルの地点で停止した(所定停車位置から二両半手前の地点であつた)が、それは、原告を轢過してから約八メートル前進した地点である、旨証言しているが、右(2)の証言は、他の証拠等によつて明らかな、右2記載の原告が轢過された地点と全く符合しないので、また、右(1)の証言は、そのとおりであるとすれば、原告が轢過された地点が右2記載の地点であり、天野の行動、制動距離等が右(四)、(五)記載のとおりである以上、本件事故は発生しなかつたはずである(加害電車は転落した原告の一〇メートル以上手前で停車していなければならないことになる)から、いずれも、措信することができない。

〈証拠判断略〉

2  右1において認定した事実に基づいて、被告の職員が旅客運送に関して注意を怠らなかつたものと認めうるか否かについて案ずるに、

(一)  仲矢旅客係については、その監視位置をもつて不適当ということはできず、そうである以上、その果した第一七一八電車に関する職務との時間的、場所的関係からみて、線路上に転落しているのを発見するまでホーム上の原告に気付かなかつたことはやむをえないところであり、また、その発見が遅れたわけでもなく、その発見後の判断、措置も、状況からみて、その際とることができる唯一の方法であつたと考えられるから仲矢旅客係は、旅客の運送に関し注意を怠らなかつたものと認められる。しかし、

(二)  天野運転士については、(1)加害電車の最前部が福島駅ホームの東端にさしかかつたときには、原告は既に一番線線路上に転落していたものと考えられるのであるが、(2)天野運転士がその地点で自己の道路上に転落している原告を発見してさえいれば、本件事故の発生を未然に防止することができたはずであるところ、(3)それは、天野運転士が駅に進入する電車の運転士に通常要求される前方注視義務を怠らずに加害電車を運転していたとすれば、十分可能であつたと考えられる。証人天野勉は、自分は前方を注視していたし、最善の努力をしたが、本件事故の発生を回避することができる地点で線路上の原告を発見することはできなかつた旨証言しているけれども、前記認定のように、少なくとも天野運転士は原告が転落するところは見ていないのに加害電車は原告を轢過した後八メートルばかり進行した位置で停車しているのであつて、右証言にはこれを納得させるに足りる説明はないから、これを措信することはできず、他に、右(2)、(3)記載の点が不可能であつたことをうかがわせる事情の主張立証はない。したがつて、天野運転士が旅客の運送に関して注意を怠らなかつたものと認めることはできない。

3  以上の次第で、本件事故の発生については、被告の使用人である加害電車の運転士天野勉が旅客の運送に関して注意を怠らなかつたものと認めることができないから、被告には、商法五九〇条に基づき、本件事故により原告が被つた後記の損害を賠償すべき義務がある。

三そこで次に、本件事故により原告が被つた損害について判断する。

1  〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

(一)  原告は、旧制中学校卒業後、家業を手伝い、第二次世界大戦中は徴用工として稼働したこともあつたが、終戦後は、各地を転々として、日雇人夫などをして稼働していた。大阪では、昭和二九年頃から昭和四五年頃までの間に一〇年余りを過ごしたが、その間は、単身で天王寺区、西成区の簡易旅館に宿泊し、主として冷暖房器具の組立てや取付けに関する熔接の作業に従事していた(その頃どの程度の収入を得ていたかは明らかでない。)。

昭和四五年頃、大和高田市内で交通事故に遭遇し、約二か月間入院した後、郷里の福岡県に帰住し、約三年間、無職無収入で、弟の世話になりながら養生した。しかし、弟の世話になるにも限度があるところから、何とか稼働して自力で生活しようと決意して来阪し、従前大阪で稼働していた頃の知人らに伝手を求めて当時と同様の仕事をしようとしていて、本件事故に遭遇したものである。

(二)  原告は、本件事故後、昭和四九年六月四日まで、大阪市福島区所在の手島外科病院に入院したが、結局、両下肢を足関節以上で失つた(両下肢とも、膝関節の下一〇ないし一五糎以下で切断されている。)。入院中、前途に絶望して自殺を企図したこともある。また現在でも時に足が痙攣するため、義足はつけてもあまり役立たず、家の中でも車椅子を用いる生活を余儀なくされている。

(三)  原告は、重度の視力障害に本件事故による両下肢の喪失が重なつたため、極端にその行動が制限されることとなり、摂食、用便、入浴、衣服の着脱等に事欠くわけではなく、独居に危険を伴うわけでもないので、常時付添介護を必要とするものではないが、買物、炊事、洗濯、掃除その他、相当程度の動作を必要としあるいは危険を伴う行為はすることができないため、その生命を維持するためには、生涯にわたつて、これらの仕事をするための付添介助者を必要とする。原告は妻帯しておらず、またその身近かに世話をする身寄りもいないところから、手島外科病院を退院した後は、学生、社会人の有志数名が、毎日、交代で、無償でその付添介助にあたつている。同人らは、必要な最低限度の仕事をするのに、日に四時間程度を必要としている。右有志の一人である小西信一郎が本訴提起に先立つて調査したところでは、右の仕事のために家政婦を雇うとすれば、一日八時間で五五〇〇円程度の出費を必要とする。

2  逸失利益  一四一二万円

さきに認定した事実及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件事故当時四四歳の男子で、当時は無職であつたが、稼働する意思を有していたことは明らかであり、本件事故がなければ、六三歳である昭和六七年まで、従前大阪で稼働していた頃と同様の仕事をして、相応の収入を得ていたはずであるところ、本件事故により両下肢を失い、当時有していた労働能力の全てを喪失したものと認められる。もつとも、その収入額は、前記認定の昭和四五年頃以前の原告の生活状態及びその後昭和四五年頃の交通事故で更に視力障害が重度のものとなつていることを考えると、男子労働者の平均給与額を大幅に下まわるものと考えざるを得ないが、原告がその収入で自活する目途をつけて単身で来阪していることから考えて、少なくとも毎年賃金センサス、産業計、企業規模計、男子労働者学歴計対応年令平均給与額の三割程度の収入を得ることができたはずであるとみるのが相当である。そこで、昭和四八年から昭和五二年までは当裁判所に顕著な右各年度の賃金センサスにより、昭和五三年以降は昭和五三年度の賃金センサスによつてその収入を算出し、年別のホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して原告の逸失利益の現価を算定すると、別紙計算書記載のとおり、一四一二万円となる(一万円未満切捨て。)。

なお、原告は、いわゆる三療業の資格を取得してこれを営むことを前提とする収入金額を算定の基礎とすべきことを主張するが、その主張によつても右資格の取得には相当程度の期間の訓練を必要とするものであり、前記認定の本件事故に至るまでの原告の職歴、及び、原告本人尋問の結果(第一、二回)によつて明らかな、原告自身、まずは自己の経験を生かした鉄工関係の仕事をしたい希望で来阪していること、にかんがみ、右主張は採用することができない。

3  付添介助費用  九六五万円

さきに認定した事実によれば、原告は、重度の視力障害に加えて本件事故により両下肢を失つたため、日常生活に支障を生じ、その生涯にわたつて一日四時間程度の付添介助を必要とする状態となつたものであり、手島外科病院を退院した昭和四九年六月四日以降、有志の無償付添介助を得ているのであるが、そのために家政婦を雇うとすれば、一日三〇〇〇円程度の費用を余儀なくされることになるものと認められる。そして、原告は、現在までは現実にそのための出費をしているわけではないが右有志の献身による付添介助を当然のこととして将来ともに期待することもできず、何時そのための出費を余儀なくされることになるかわからないし、また、右有志の好意に基因する恩恵を加害者にまで及ぼすべき理由もない。もつとも、右付添介助の必要は、原告が重度の視力障害者であることも一つの原因となつて生じているものであるから、前記認定の本件事故前後の原告の生活状態等諸般の事情を考慮して、右のうち一日一五〇〇円が、本件事故と相当因果関係のある損害であると認めるのが相当である。

以上述べたところからすれば、原告は、本件事故により、昭和四九年六月四日以降その生涯にわたり、一日一五〇〇円の割合による付添介助費用の損害を被つたものというべきところ(手島外科病院入院中の分については原告の出費を要する付添人があつたことを認めるに足りる証拠がない。)、当裁判所に顕著な簡易生命表によれば、昭和四八年に四四歳である男子の平均余命は30.16年であつて、原告は昭和四九年以降二九年は生存するものと考えられるから、その間の付添介助費用の現価を年別のホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、九六五万円となる(一万円未満切捨て。)。

(算式) 1500×365×17.6293=965万2041

この点に関する請求のうち右金額を超える部分については、これを認めるに足りる証拠がないか、本件事故と相当因果関係がないものとして、失当というべきこととなる。

4  慰藉料  八〇〇万円

本件事故の態様、原告の受けた傷害の部位程度、後遺障害の内容程度、その他、原告が事故後自殺を企図するほどの苦痛を受けていることなど諸般の事情を考えあわせると、その精神的苦痛に対する慰藉料は、八〇〇万円が相当と認められる。

四進んで、過失相殺の抗弁について検討する。

1  本件事故当時、原告が、白杖を所持しておらず、介護者を同伴していなかつたこと、福島駅のホーム上には、縁端にクリーンタイルは貼付されていたが、転落防止のための点字ブロック等や、手摺、柵、ロープ等は設置されておらず、又全長一八〇メートルのホーム上に駅員一名が配置されていたにとどまること、同駅の乗降客数が一日平均約二万六〇〇〇名であつたこと、は、いずれも当事者間に争いがなく、当時原告が酒気を帯びていたことは、さきに認定したとおりである。

2  〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができ、これを左右するに足りる証拠はない。

(一)  視力障害者は、歩行に際して、視覚により常に進路前方の未来位置に関して十分な予測判断をなしうる晴眼者とは異なり、足裏、白杖などによる触感覚や聴覚等に依存せざるをえないところから、常に極めて小範囲(場合により、単一地点)の進路予測しかなしえない点において、まず、根本的な制約を受ける。そして、駅ホーム、特にいわゆる島式ホームを歩行する場合には、縁端を示す白線はもとより役立たず、いわゆる相対式ホームを歩行する場合のように、側壁を皮膚感覚等で捉えてこれに沿つて進むことはできないし、また、中央部分を歩くには、設置されているベンチ、水飲み台等が障害物となり、これらを避けたりするうちに方向を見失うおそれが大きい。更に、福島駅の場合には、高架で、ホーム直下の一般道路や環状線と併走する阪神電鉄、国鉄貨物線などからの騒音が不規則に入り乱れるため、情報として役立つ音の選択が困難となり、聴覚が役立たないという難点が加わることになる。仮に白杖を用いたとしても、それによつてホームの縁端を感知しえた地点では、既に電車に巻き込まれるか、ホームから転落する危険にさらされていることになる。直接死傷事故には結びつかなくても、ホームから転落した経験を有する視力障害者は少なくない。また、転落後も、周囲の状況に即応して迅速な退避行動をとることは不可能であるから、重大な結果を生ずる危険性が高い。

(二)  視力障害者が外出する場合、介護者の付添があれば危険はないが、常にそれを期待することは困難である。その場合に、白杖の果す役割は大きく、時として未知の晴眼者に情報提供等の援助を求めることが不可欠となる。

白杖が果す役割としては、①晴眼者に視力障害者であることを知らせる、②それによつて周囲の情報を得る、③自分を守る、の三つがあげられているが、歩行訓練士の絶対数が少ないため歩行訓練を受ける機会が少ないこと、福祉事務所から支給される白杖は右②の役割を十分に果すには短かいこと、などから、右②、③の点で白杖を十分に役立たせることのできる視力障害者は、比較的少い。もつとも、現にこれを所持する者は、程度の差はあれ、通常は、自然に体得した用い方で、ある程度は右②の点でも役立たせているが、右①の点で役立たせうるにとどまるものも、かなりいる。特に、中途失明者の場合には、視力障害の程度にもよるが、白杖の入手、その使用技術の習得等についての情報にうといため、白杖を所持せず、また、所持しても十分に利用することができないものが多くなる傾向がある。

原告は、他の視力障害者が白杖を所持使用していることはよく知つていたが、その入手、使用技術習得について他から情報を提供されたことはなく、訓練しなければ持つても役に立たないと自分なりに考えて、白杖を所持しようとしなかつた。

(三)(1)  点字ブロックは、縦横各三〇センチメートル、厚さ5.5センチメートルのコンクリート製台座の上に直径3.5センチメートル、高さ0.5ないし0.6センチメートルの半球状の突起を縦横各六列に合計三六個配置したもの、点字タイルは、縦横各三〇センチメートル、厚さ0.2センチメートルの塩化ビニール製の板の上に前同様の突起を配置したもの、で、いずれも、接続的に敷設することにより、足裏の触感覚を利用して、視力障害者の歩行誘導の効果を生み出そうとするものであり、安全交通試験研究センター(以下、安全センターという。)により、前者は昭和四〇年に、後者は昭和四一年に、開発された。ホーム縁端のみに限定すれば、福島駅に点字タイルを敷設するのに必要な費用は、せいぜい七〇万円程度である。

(2)  クリーンタイルは、本来滑り止めを目的とするもので、その突起部分は、高さも約0.3センチメートルと低く、表面も平坦であるため、視力障害者が足裏の触感覚で判別することは容易でなく、また、その敷設位置がホームの縁端であるため、その安全誘導設備としては、極めて不十分な役割しか果しえない。これに比べて、点字ブロック等をホーム縁端からある程度の距離をおいて接続して敷設すれば、それは、完全とはいえないけれども、視力障害者に対する安全設備として一応十分の役割を果すものと考えられる。

(3)  安全センターでは、昭和四一、二年頃から毎年一、二回、地方公共団体、盲学校その他の社会福祉施設、被告(各管理局、支社宛)を含む各交通機関に対し、右製品のパンフレット、カタログ等を送付して、その普及活動を行なつており、また、昭和四二年頃以後は、各地における各種の視力障害者の組織からも、関係各機関に対し、盲人歩行の安全確保の一環として、点字ブロック等の設置を要望する陳情等がなされるようになつた。大阪においても、昭和四三年頃から、大阪市盲人福祉協会などが、視力障害者の交通問題を取上げはじめ、同様の要望運動を行なうようになつた。

(4)  点字ブロック等が最初に実用に供されたのは、昭和四一年三月、岡山県立盲学校に通じる国道二号線の横断歩道である。その後の普及、実用化の状況を安全センターの受注先リストからみると、昭和四六年三月頃には、全国約五四〇都市中、四一都市において点字ブロックが、三三都市において点字タイルが、また、本件事故が発生した昭和四八年八月頃には、八〇都市において前者が、六八都市において後者が、何らかの形で、一か所又はそれ以上のか所で、実用に供されている。

ところで、点字ブロック等が十分にその効用を発揮するためには、その敷設方法等が相当まで全国的に統一されたものとなり、また、利用者の間にその存在と意義、目的に対する認識が広まることが必要であると思われるが、安全センターが、昭和五〇年三月にまとめた「道路における盲人の誘導システム等に関する研究報告書」(甲第三五号証)には、既設の点字ブロック等はその敷設方法等がまちまちであり、効果的な敷設方法等についても、まだ研究の余地が大きく残されている、という意味合いも含めて、(視力障害者の歩行のために何らかの誘導施設を設けることは社会的要請の一つであるが)「従来からもこれらの要請に応ずるための誘導・案内の方法が試みられては来たが、未だ実験的段階を脱せずその手法としても試行錯誤的範囲を超えていなかつたというのがその実状であつた。」と記されている。

(5)  被告は、昭和五四年に阪和線我孫子町駅に点字タイルを、昭和四七年に阪和線和歌山駅及び紀伊駅に点字タイルと点字ブロックを敷設した。いずれにも、近くに盲学校がある。その後昭和五一年三月頃までの間の、被告の大阪、天王寺両鉄道管理局管内、及び大阪近郊の私鉄等における点字ブロック等の設置状況は、概ね被告の事実第三の三の2における主張にあらわれているとおりである。なお、被告においては、昭和五〇年頃、全国統一的なものとして、周辺に視力障害者の施設があり、その利用が特に多い駅、一般乗客が多く、したがつて視力障害者の利用も多いと思われるターミナル駅、周辺の道路等の公共施設が視力障害者のために整備されている駅、新設、改造する駅で、必要性が認められるもの、にそれぞれ設置するという方針をたてている。大阪近郊の私鉄や公営交通機関においても、昭和五〇年頃から点字ブロック等を敷設する駅がぼつぼつ現れはじめ、漸次増加してきている。

(6)  ところで、福島駅周辺には、特に視力障害者のための福祉施設というものはなく、また、周辺の道路等の公共施設が視力障害者用に整備されているということもない。同駅を利用する視力障害者の乗降客は月間数名程度にすぎず、本件事故以前に、特に同駅について点字ブロック等の設置が要望されたというようなこともなかつた。

(四)  国鉄(東海道線京都神戸間及び大阪環状線)並びに大阪市内及び近郊の鉄道交通機関(市営地下鉄御堂筋線、阪急神戸線、阪神、近鉄、南海)の、福傷駅と同規模の名駅におけるホーム上の駅員の配置状況は、昭和五四年五月頃の調査で、朝夕のラッシュアワーに二名、その他の時間帯に一名という構成、ないしは、それ以下の場合が大多数である。なお、前記認定の福島駅のホームの幅員は、右同規模の各駅のそれに比べれば、比較的広く、余裕のある部類に属する。

3  被告のように一般旅客の大量輸送を目的とする鉄道交通機関は、そこに内在する危険にかんがみ、当然、旅客の安全確保のために必要な人的物的施設を整備すべき義務を負うものであるが、なお、身体障害者である利用者に対する安全施設の拡大充実にも努力すべきものと解される。もつとも、右後者の場合は、大量輸送を行なう企業に、視力障害者等極く一部の利用者に固有の事情によつて生ずる危険から、その安全を確保するために、加重された施設の整備を求めるのであるから、それは、基本的には当該企業の公共性、社会性に由来する要請であるというべく、その公共性の程度に差がありうるとはいえ、これを法律上の義務として要求するには、自ら限界があるものといわざるをえない。のみならず、それが、既に評価の定着したものではない、比較的新しい時期に第三者によつて開発された手段を採用するというような場合には、その開発から採用までに相当程度手間取ることがあつても、それはやむをえないことであり、同種の危険が頻発するために応急の措置を必要とする程の切迫した要請があるような場合は格別、その間、右手段による整備がなされていなかつたことをもつて、違法ということはできないところである。

右のような見地から本件をみるに、前記認定2の(一)、同(三)の(2)の事実によれば、福島駅ホームは、視力障害者にとつて転落する危険性の高い場所であるから、視力障害者がホーム縁端を容易に感知することができるような安全施設があることが望ましく、点字ブロック等は、一応その役割を果すに足りると考えられるものではあるが、同(三)の(3)ないし(6)の認定事実にあらわれた、本件事故当時における、点字ブロック等の普及の程度や、視力障害者である旅客の福島駅の利用状況等にかんがみれば、本件事故当時、被告に、福島駅のホームに点字ブロック等を敷設しておくべき法律上の義務があつたとまでは、認めがたいところである。

なお、ホーム縁端に転落防止用の手摺、柵、ロープ等を設けることについては、それがかえつて一般乗客に危険をもたらすことになりかねないという被告の主張に合理性が認められるし、また、ホーム下の退避用補助施設については、特に採用すべき視力障害者のために有効な具体的手段についての主張があるわけではない。

次に、ホーム上の駅員の配置は、予め特殊な危険の発生をうかがわせるような特段の事情が存する場合は格別、一般的には、当該駅における利用乗客数及びその時間的変動、電車の発着状況、ホームの構造等を総合考慮して、ホーム上において通常予想される危険から旅客を保護するに足りるだけの人員を配置すれば足りるものと解すべきところ、さきに認定した右の諸点に関する事実関係、就中二の1の(一)ないし(三)、四の2の(四)の事実にかんがみれば、本件事故当時の福島駅におけるホーム上の駅員の配置に不備の違法があつたものとは認めがたいところである。

以上、本件事故による損害賠償の額を定めるにあたつては、原告が被告に対して福島駅ホームの人的物的施設の不備を理由にその被つた損害についての法律上の責任を追求することはできないことを前提として、原告の過失を斟酌すべきことになる。

4  さきに認定した、本件事故の態様、原告が来阪するに至つた経緯、及び、右2の(一)、(二)で認定した事実関係からすると、本件事故当時、原告が介護者を同伴していなかつたことはやむをえないところであるが、単身で来阪すれば頻繁に介護者なしで鉄道交通機関を利用するようになることが当然予想される状態にあつた原告としては、予め白杖を所持し、日頃から少しでもその使用に習熟するように努めるべきであつたし、また、それは可能であつたはずであると考えられる。しかるに、原告は、本件事故当時、白杖を所持していなかつたのであるから、より慎重に行動すべきところ、旅行と求職のための活動による前夜来の疲労に加えて酒気を帯びているという、注意力が大幅に低下している状態で、危険なホーム上を歩行していて、本件事故に遭遇したものであり、原告において、自己の危険に対処しうる能力を考えて、右らの諸点につきもう少し慎重な態度で行動していれば、本件事故は避けえたものと推認することができるのであつて、本件事故の発生については、原告にも大きな過失があつたものとみざるをえないから、これを斟酌すると、過失相殺として、原告の損害の四割を減ずるのが相当と認められる。

五本件事案の内容、審理経過、認容額等に照すと、原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は、一五〇万円とするのが相当であると認められる。

六以上の次第で、被告には、原告に対し、金二〇五六万二〇〇〇円及びうち弁護士費用を除く金一九〇六万二〇〇〇円に対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和五一年八月三日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は右の限度で正当であるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。仮執行免脱宣言の申立については、相当でないから、これを却下する。

(富沢達 本田恭一 大西良孝)

計算表

各年度賃金センサスの産業計,企業規模計,

男子労働者対応年令平均給与年額(A)

期間・ホフマン係数

逸失利益の現価

((A)×0.3×期間×ホフマン係数)

昭和48年

(9月~12月)

(円)

2,005,600

4か月 1

(円)

200,560

昭和49年

2,438,900

1年 0.9523

696,769

昭和50年

3,005,800

1年 0.9090

819,681

昭和51年

3,185,200

1年 0.8695

830,859

昭和52年

3,510,800

1年 0.3333

877,664

昭和53~67年

3,732,300

15年 9.5517

10,694,442

合計

14,120,475

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